心残り・・・
2008年 02月 26日
父・・・平成20年2月11日 午後11時1分亡くなりました。
その日の夕方、家族4人で病院にいきました。
でも、集中治療室に入っていて、肺炎を起こしていたので子供は面会話させてもらえませんでした。
夫と私が交代で病室へ・・・
とても苦しそうに息をしているだけの父・・・
とても辛かった。
「おとうさん!」返事はありませんでした。
それが最後の姿でした。
今年に入り、病状が酷くなった父
私も臨月だった為、実家にも行けず、もちろん看病さえしてあげられませんでした。
そしてルイが生まれ
私の状況・・・すぐに実家にも行けなかった・・・
ヒロトのインフルエンザ、治ったら父がインフルエンザにかかり肺炎・・・
心残り・・・ルイを会わせてあげられなかったんです。
後悔しても後悔してもしきれない。
母が時々時間を見ては来てくれていたので、話しはしていたけど・・・
「ヒロトの弟はなんて名前だ・・?」(父)
「ルイだって~」(母・・・)
「ルイ!変な名前だなぁ(苦笑)」(父)
このような会話はあったようです。
息子が欲しかった父・・・夫のことを本当の息子のように慕い接してくれました。
そして、孫ヒロト、それはそれは嬉しそうにいつもにこにこ笑顔で可愛がってくれました。ヒロトもじいじが大好き!よちよちの頃からいつもじいじ!じいじとついて行きました。
最後に会ったのは、お正月・・・まだ少しは会話ができました。
ヒロトにとっては、元気なじいじの姿だけが思い出に残っていると思います。
最後に病院で会えなかったのも、父がそう願ったのかな?
母に長く看病させなかったのも父の思いからかな・・・?
でもルイにはあわせてあげたかった。
私は自分を責めましたが、そんなことで父は怒らないよな~・・・
息子が欲しかった父ですが、愛情いっぱいに一人娘の私を育ててくれました。
なんか教えられてる気さえします。
きっと、天国でヒロト・ルイのことを見守ってくれると思います。
おとうさん、ありがとう!
そしてごめんね・・・
安らかに休んでください。
昨年2月・・・
その日の夕方、家族4人で病院にいきました。
でも、集中治療室に入っていて、肺炎を起こしていたので子供は面会話させてもらえませんでした。
夫と私が交代で病室へ・・・
とても苦しそうに息をしているだけの父・・・
とても辛かった。
「おとうさん!」返事はありませんでした。
それが最後の姿でした。
今年に入り、病状が酷くなった父
私も臨月だった為、実家にも行けず、もちろん看病さえしてあげられませんでした。
そしてルイが生まれ
私の状況・・・すぐに実家にも行けなかった・・・
ヒロトのインフルエンザ、治ったら父がインフルエンザにかかり肺炎・・・
心残り・・・ルイを会わせてあげられなかったんです。
後悔しても後悔してもしきれない。
母が時々時間を見ては来てくれていたので、話しはしていたけど・・・
「ヒロトの弟はなんて名前だ・・?」(父)
「ルイだって~」(母・・・)
「ルイ!変な名前だなぁ(苦笑)」(父)
このような会話はあったようです。
息子が欲しかった父・・・夫のことを本当の息子のように慕い接してくれました。
そして、孫ヒロト、それはそれは嬉しそうにいつもにこにこ笑顔で可愛がってくれました。ヒロトもじいじが大好き!よちよちの頃からいつもじいじ!じいじとついて行きました。
最後に会ったのは、お正月・・・まだ少しは会話ができました。
ヒロトにとっては、元気なじいじの姿だけが思い出に残っていると思います。
最後に病院で会えなかったのも、父がそう願ったのかな?
母に長く看病させなかったのも父の思いからかな・・・?
でもルイにはあわせてあげたかった。
私は自分を責めましたが、そんなことで父は怒らないよな~・・・
息子が欲しかった父ですが、愛情いっぱいに一人娘の私を育ててくれました。
なんか教えられてる気さえします。
きっと、天国でヒロト・ルイのことを見守ってくれると思います。
おとうさん、ありがとう!
そしてごめんね・・・
安らかに休んでください。
昨年2月・・・
by maboun1610
| 2008-02-26 13:09
| ごあいさつ